映画 ~エリザベスタウン~

エリザベスタウン

原題: Elizabethtown

配給: パラマウント映画(UIP)

監督:キャメロン・クロウ

脚本:キャメロン・クロウ

出演:オーランド・ブルーム、キルスティン・ダンスト

公開日: 2005/10/14(日本 2005/11/12)

ジャンル:ヒューマン、恋愛


「エリザベスタウン」は自殺しようとしていた男が、

父の故郷エリザベスタウンへの旅程やそこでの出会いを通して、

生きる喜びを見出していくヒューマンドラマ・恋愛作品です。


シューズメーカーの新商品開発プロジェクトで大失敗した結果、約10億ドルもの

損害を出し、会社をクビになり、恋人ともうまくいかず、自殺しようとする

ドリュー(オーランド・ブルーム)のもとに、姉から父親の訃報の連絡が来ます。


長男としての最期の責務だけは果たさなければ、自殺はそれからにしようと

思いとどまり、飛行機でケンタッキー州エリザベスタウンに向かいます。

そのフライトの中でドリューはおせっかいなフライトアテンダント、

クレア(キルスティン・ダンスト)に出会うことになります。


この話ではいわゆる田舎特有のめんどくい部分もあるのですが、全体的に

故郷のあたたかさ、人間関係の優しさにふれられるようになっています。


ただ、やはりこの話の肝になるのはクレアの存在かなと思います。

特にドリューが葛藤しながら自分の失敗を打ち明けたときに、

「That's It?(それだけ?)」というシーンがとても好きです。

失敗しても前向きな気持ちになるにはもってこいな気がします。



マニック・ピクシー・ドリームガールについて


この映画で魅力的な振る舞いを見せるクレア(キルスティン・ダンスト)ですが、

その魅力のあまり、批評家であるネイサン・ラビンさんにより、2007年、

新しい言葉「マニック・ピクシー・ドリームガール」という言葉が生み出されます。

(詳細はエンターテイメント情報を取り扱うウェブサイト「The A.V. Club」の記事、

「The Bataan Death March of Whimsy Case File #1: Elizabethtown」

か、wikipedia先生をご確認ください。)


この言葉は映画における型にはまったキャラクターの1種として紹介されました。


型にはまったキャラクターというのは、

アメリカ映画で日本人が眼鏡をかけていたり、戦隊物でリーダーは赤だったり、

日本の少年誌で当初敵だったキャラが仲間になったときにツンデレになったり、

学校のデスゲーム物で必ず一人はPCや機器に精しい人がいたりするやつです。


で、今回のマニック・ピクシー・ドリームガールはメタ的に言えば、

「作者の都合よく動いてくれる、陽気な架空の女性」であり、作品的に言えば、

「悩み多き若い男性の人生に影響を与える不思議で大胆な女性」です。


不思議で大胆、突拍子のない行動をとることが特徴です。

この映画では、アテンダントであるクレアが、客であるドリューに対して、

「疲れていて後ろまで見て回るのが嫌だからファーストクラスに移動して欲しい」

と言ったり、傷心中のドリューが独りになりたいという態度を示すために

ライト(読書灯)を消しても、クレアがそれを認めずライトをまたつけたりと、

なかなかリアルでやられたらそれどうなの、という行為が見られます。

(まあ、オーランド・ブルームさんがかっこいいですからね、仕方ないですね)

しかし、クレアがそれをやっても、かわいく見えてしまうことがこのキャラクターの

恐ろしさなのだと思います。


こういったマニック・ピクシー・ドリームガールのキャラクターの代表例として、

「(500)日のサマー」のサマー(ズーイー・デシャネル)や、

「終わりで始まりの4日間」のサム(ナタリー・ポートマン)がいるようです。


そして、草食系男子や中二病という言葉がある日本では殊更、そういったキャラが

多いのではと思っています。


マニック・ピクシー・ドリームガールの厳密な定義によれば違うのかもしれませんが、

住野よるさんの「君の膵臓を食べたい」に登場する山内桜良や、中田永一さんの

「百瀬、こっちを向いて。」に登場する百瀬陽、新川直司さんの「四月は君の嘘」に

登場する宮園かをり、まだまだ挙げればきりがないように思います。


で、ここまでこれだけ話しておいて、次にこの話題を言うのもアレなのですが、

この「マニック・ピクシー・ドリームガール」、提唱者から、こんな言葉を

生み出してごめんなさい、となっているようです。

(オンラインニュースサイト「SALON(サロン・メディアグループ)」の記事、

「I’m sorry for coining the phrase “Manic Pixie Dream Girl”」

)


本質をつかめているかわかりませんが、もはやどこにでもいるような存在に

なってしまった、意図と異なるように言葉が使われだした、といった内容でしょうか。


しかし、そもそも作品に登場するキャラクターとして、

・何も主人公に影響を与えないキャラクターでは登場する意味がない。

・何の特徴もないキャラクターを登場させてもおもしろくない。

ということで悩み多き若い男が主人公の作品では、多くの女性キャラクターが

「マニック・ピクシー・ドリームガール」となってしまう気がします。


ということで、厳密に定義することは難しいのですが、個人的には結構便利な

言葉だと考えており、今後も似たタイプのキャラクターは登場し続け、

その度にこの言葉を思い出すのだろうなとは思っています。

マンターンのBLOG

過去に見た小説や映画の内容の備忘録 更新停止中 工事中 → https://manturn.blogspot.com/

0コメント

  • 1000 / 1000