十二人の怒れる男
原題: 12 Angry Men
配給: ユナイテッド・アーティスツ
監督: シドニー・ルメット
脚本:レジナルド・ローズ
出演:ヘンリー・フォンダ、マーティン・バルサム
公開日: 1957/04/13(日本 1959/08/04)
ジャンル:法廷、サスペンス
「十二人の怒れる男」はアメリカ合衆国の陪審制度を題材とした法廷物映画です。
スラム街に住む少年に父親殺しの容疑がかけられており、十二人の男が陪審員室内で少年が有罪か無罪か議論する様子を描いています。
なお、wikipedia先生に「陪審制度」について一部を教えていただくと、
とのことです。
"密室で評議した上で"とあるように本作品ではオープニングとエンディング、また洗面所のシーン以外はすべて陪審員室のシーンです。
恐らく9割5分はそのシーンなのではないでしょうか。
そして、物語のポイントとして”伝統的に全員一致であることが必要”、”全員一致を満たさない場合は評決不能となり新たな陪審の選任から裁判をすべてやり直す”と、これらのルールがますます議論を白熱させます。
評議冒頭で挙手による多数決がとられます。この時点で全会一致であればすぐにエンディングだったのかもしれませんが、結果は有罪:11、無罪:1となります。
それならばと無罪の人を「数の論理」で半強制的に有罪とすればよかったのかもしれませんが、この映画ではそうはなりませんでした。
また、無罪に賛成した人も決して少年が絶対父親を殺していないというスタンスではなく、本当に提示された証拠を信じて一人の少年を電気椅子に座らせてもよいのか、話し合い、検証しようではないか、というスタンスに思いました。
ただ信念を持って、周囲と話し合おうと陪審に参加しています。
もちろん、中にはその話し合いが無駄だと主張する人もいますし、自分の意見をもたずに周囲にあわせているような人もいますが、結果的には話し合いを重ねていく過程で、意見を変える人や感情をむき出しにする人とそれらの様子が描かれています。
この物語では、数の圧力こそあれ、決して数の暴力で評決を決定することはなく、あくまで話し合いを重ねるということを描いています。
たまに「民主主義」とは「数の暴力」とする意見を聞きますが、この映画は真っ向からそれとは異なるストーリーを展開しています。
また、被疑者はスラム街出身で、偏見を理由に有罪としたり、陪審員は年齢・職業こそ様々ですが女性の陪審員は一人もいなかったり、当時の社会背景も確認できます。
十二人の陪審員がそれぞれ個性的だということですが、少なくとも1回見ただけでは、本当に全員が必要不可欠な存在かと問われると私にはそう思えませんでした。
というより最初に無罪を主張するヘンリー・フォンダさんの印象ばかりが残ってしまっています。
しかし、2回目に冒頭だけ鑑賞した際には、最初の挙手による多数決の場面で、1回目にはわからなかった陪審員の挙手の微妙なタイミングの違いとかがわかりおもしろかったです。
このように、何回か見ることでより魅力を感じることができそうな映画です。
この映画にとっつきにくそうな印象を抱いている方は、これを原作として、三谷幸喜さん脚本で中原俊が監督をした「12人の優しい日本人」を見てみるのもいいと思います。
また、題材こそまったく違い、エンターテインメント色がより強いですが、古沢良太さん脚本で佐藤祐市さん監督の「キサラギ」も密室での紆余曲折を取り扱っているサスペンスコメディとしてお勧めです。
同じように密室での参加者の話し合いで、ここ数年に発表されたものであれば、文庫小説ですが藤崎翔さんの「神様の裏の顔」(発表当時は「神様のもう一つの顔」)もエンタメ色の強い作品で読みやすさの面でお勧めです。
私は未視聴ですが、本作品のロシアリメイク版もあるとのことで、機会をみて視聴したいと思います。
時間や場所が次々に変わったり、次々から次々に新しい登場人物が出現する作品に疲れている方へ、限られた場所で限られた登場人物の会話劇のみで起承転結が進むお話はいかがでしょうか。
ちなみに本作を視聴された方に起承転結の「転」はどこでしょうと質問すると、凶器のナイフのところが多いのでしょうか。少し興味深いところです。
0コメント